‘ライフイズビューティフル’をみた。
で、思ったこと。
なんとも綺麗なイタリア映画で、彼女との出会いは幸せで可愛らしかった。衣装や小道具、舞台や切なさもそれがその後の不幸の演出にも、なっているのだが。
不条理で不幸なのに可笑しくて、悲しいが幸せ。
主人公の愛らしさが伺える。
その主人公の彼が‘学校であった怖い話’の風間さんに見えてくる(今は鳴神学園七不思議っていうべきかな)。
風間さんは何か特別なことができるわけではない。
特殊能力持っていたりもするが、彼の世界では常識だ。
それとは別で、彼自身の中に一般常識とずれた、めちゃくちゃな彼の常識性と屈託ない明るさがあるだけだ。
そこが彼のご愛嬌。
自分の事しか考えていないのに、
他人に共感してしまったり、共感した人を簡単に信じて愛してしまったり、好きな人のためだと命まで懸けてしまうのだ(恋2……は特にね。VNVは、イライラしてたね。あれも根っこは一緒かな)。語り部の中では、かなりの単純な純粋なのでは?
かなりの噓つきだし、悪ガキみたいなことするけど。
純粋って、すぐ死んじゃう。どうしてこんなに儚いんだろうか。
周りが見えてないからだろうか。
必死すぎるからなのだろうか。
でも、そんな純粋な彼らだからこそ愛されるのだ(愛されキャラではない)。
純粋って残酷、でも人々は彼らに共感してしまう。
純粋はやさしく可愛いく、いじらしい。
すみっコぐらしとかさ……似てるなぁって。
純粋性。
一緒くたにするのは失礼だろうか?
その、自分自身さえもよく分かっていない、だからこそ、その人物にしか見えていない世界は単純で残酷で切ない。
そこでの彼らの行動は必死すぎて、可笑しくて笑えてくるが、実に心打たれ愛らしい。
なんだかな。
見ているこっちが残酷だ。
でも見ていてで追いかけたくなるのだから仕方がない。
でも、それだけではない風間さん。