2023年5月28日日曜日

書き留める





ここで書くことではないけれど。
書きとめておこうと思いました。
書くことは私にとって、整理するとこで客観視できるので。




私のとても身近な人が、死にました。
思えば、数日前。
その人の誕生日でした。

なんとなくわかっていました。
もう、別れてしまって数年はたちます。
思い出す顔かたちは当時の思い出のまま。
今の顔はみたこともない。
声も匂いもわからない。
状況的にもう、死んだ顔をみることはできないようです。

なんとも
人は
とても儚いです。

彼は一人で死にました。

その要因の一部である同居人を、責めない。
身内を責めない。
彼も色んなことを私たちにしましたから。
だからといって、彼のことを責めない。
彼はとても、さみしい人だったから。
彼は生きることに真面目ではなかった。
私たちと対話しようとしなかった。
聞いてもなにもこたえなかった。
たぶんこたえることができなかったんだと思う。
同居人はその事をとても悲しんでいた。

そして、彼が死んでしまったのは自業自得であるけれど
その死んでしまった責任は私にもある。
その事を胸に刻みます。

なんともいえない風が心に吹きますね。

なんとなくわかっていたので、心持ち静かです。
いずれこんなことが来るのはわかっていました。
だからかもしれない。
酷いことをしたのかもしれない。
でも流れに任せた。
僕は彼に対して
そして
彼も私に対して
なにもしなかった。
ただただ流れに任せただけでした。
できることはそれだけでした。

ほんとうに
人間関係というのはどうしようもないものがありますね。

自分勝手だけれど
彼を思い出す思い出が
憎しみでも
悲しみでもなく
幸せなものでよかった。
たとえば、飼ってた亀の甲羅を洗っているとことか。
プールの帰り、いちご牛乳買ってくれたこととか。
癌の手術が終わって退院するとき、久しぶりにあって抱きしめてくれたこととか。
そんなこと。
色んな事がありすぎたけど。
そんなことを思い出す。
人はとても身勝手ですね。

僕ができるのは
受けとめて、同居人に寄り添うことです。
そして
絵を描きます。
彼も絵を描く人でした。
しかし、途中から描かなくなってしまった。
その事がとても寂しかった。
会話しないことよりも悲しかった。
なによりも切なかった。
だって
僕が絵を描くことのきっかけのひとつは、彼だったのだから。
そして同居人も、誰よりもその事を悲しんでいた。

だから、思いが離ればなれになったのだと僕は思っている。

絵を描くことに限らず、僕にとって創作は救いです。
生きる意味です。
そして、愛です。
だから、生きて吐き出します。
それに囚われているのかもしれない。
それでもいい。

思いを形にした創造物は、何物にもかえがたいものなんです。

私にとって
切なく残酷な美しい
この世界の中で
慰めであり
幸せを感じるものであり
生きる希望です。

どんなことがあっても
たのしく創作したいですね.+:。
今日も絵を描こうっ!


…………やっぱりコレ、残しておきますね。
供養の意味も込めて。
えへへっ


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